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TED「死について私達が信じる4つの物語」の紹介
1. はじめに
こんにちは。&for usのがくです。
みなさんは「人はいつか死ぬ」ということを考えたことがありますか? 日常のなかではあまり考えないようにしている人も多いかもしれませんが、人は100%死に至ります。
「死ぬのが怖いと感じるのはどういう仕組みなのか」については、以前、存在脅威管理理論という記事でご紹介しました。
(参考記事:死ぬのが怖いのはなぜ?存在脅威管理理論から見る死への心理)
そして、死にたくないと考えた人類は、これまでにさまざまな“死なない方法”を考えてきました。
今回は、そんな「不死の戦略」を4つのカテゴリーに分類して分析を行っている学者のスティーブン・ケイヴが語る「死について私達が信じる4つの物語」についてご紹介します。
※動画で視聴したい方はコチラへ
2. 死ぬのが怖いと生じるバイアスとは
動画はケイヴが「人はいつか死ぬ」ということに気づいた当時のことを振り返るところからはじまります。
彼は幼い頃、祖父を亡くしたときに初めて自分が死ぬかもしれないということに気づきました。そして、誰でも子どもの頃に死の存在に気づくと言います。
そして、このような子どもの死への気づきという発達は、人類の進化の発達を反映していると論を展開します。子どもが大きくなるにつれて自我や時間を捉えられるようになるのと同じように、人類における最初の人々も自我や時間を認識し「自分もいつか死ぬ」ということに気づいたと主張します。
この死への気づきはとても怖いことなので、人類は歴史の中で様々な逃げ道を探してきました。
このような逃げ道は心理学でいうところの「バイアス」であり、人間は自然と自らが見たい現実のみを見ようとしてしまう、ということです。
ここでの死についてのバイアスとは、「人はいつか死ぬ」という事実に直面すると、それに対する恐怖から、その事実を否定する物語を信じるようになり、不死を探求しようとすることを指します。
このバイアスは、400件以上の実証実験によって科学的に研究されています。例として挙げられたのは、不可知論者(注1)を集めて2つのグループに分けたものです。一方のグループには自分が死ぬことについて考えてもらい、もう一方のグループには孤独について考えてもらったところ、神やキリストを信じる人びとが2倍に増えたとのことです。
この実験から分かることは、人びとは死を前にするとバイアスにかかり、どうにか不死の手段を考えようということです。この実験では、キリスト教という宗教のなかにある不死の物語を信じるようになりましたが、このバイアスは宗教だけではなく、どんな体系の不死の物語でも作用します。では、どのような不死の物語の体系があるのでしょうか?
3. 不死の4つの物語とは
人類がこれまで生み出してきた不死の物語はたくさんありますが、大きく分類すると4つの基本形式に収まります。
ひとつは「生き残り」の物語。それはつまり、自分が自分の身体のまま永遠に生き続けると夢見ることです。古代エジプトや古代インド、西欧の錬金術の書物など、人類史上のほとんどの文化のなかで、不老不死の薬や若さの泉といった永遠の命を与える物語が残っています。
そして、このような物語は、現在も科学の領域で生き続けています。100年前にはホルモンが発見され、ホルモン治療で老化や病気が治せると信じられていました。今ではiPS細胞や遺伝子工学、ナノテクノロジーなど、科学で死が止められるという発想が不死の薬の物語の新しい章として追加されているのです。
人類の歴史のなかで多くの人びとが不死の薬の物語を信じ探し求めてきましたが、実際に不死の薬を発見した人はおらず、すべての人が死んでいます。そのため、別の物語が必要になりました。
そこで生まれるのがふたつ目の「復活」の物語です。
この物語では、たとえ死んでしまったとしてもまた生き返ることができると人びとは考えます。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの諸宗教で同じ考え方が信じられています。
また、現代ではこの復活への欲望を科学の力で達成しようとする人もいます。
例えば、人体冷凍保存の技術を真剣に考えている人がいます。現在の技術では不死を達成することは難しいと判断し、自分の体を冷凍保存し未来の技術に希望を託して、いつの日か再び蘇ることを夢見ているのです。
このように、今ある肉体にこだわる人びとがいる一方で、肉体を捨てて生き続けようとする人びともいます。それが3つ目の物語「霊魂」の物語です。
多くの伝統宗教では魂の存在が信じられています。さらに、昨今のデジタル社会に合わせた新しい魂の物語として、マインドアップローディングというものがあります。これは自分自身の身体ではなく、自分自身の精神をコンピュータにアップロードし、アバターとして生きていくという考え方です。
しかし、現状ではマインドアップローディングの技術は未完成です。人間の精神は脳に依存しているということが神経学者から指摘されており、脳の再現は限りなく不可能であるともいわれています。仮にできるとしても、ここ数百年の話では無いでしょう。
そこで登場する最後の物語は「遺産(レガシー)」の物語です。
これは自分の身体や魂を存続させるのではなく、自分自身が生きた証をこの世に残そうとする試みです。歴史のなかで、多くの人びとが自分が生きた証や名誉を残そうとしてきました。
かつてはその土地の王や有名な戦士でないと名誉を残すことはできませんでしたが、デジタル時代である現代では、インターネットさえあれば簡単に生きた証を残すことができるようになりました。
より具体的に、生物としての生きた証を残すものとして、生殖・出産などで子孫を残すというやり方があります。もしくは「日本人として生きた」「日本国家のために貢献した」など、国家・部族・家族などの自分より大きな集団への帰属によって、自分の名誉を残そうとする人もいます。
以上が4つの不死の物語です。ここで大事になるのは、おおよそ似通った不死の物語が、形を変えて、ありとあらゆる社会の中に何百何千と存在しているという事実です。
そして、人びとは心の底ではこれらの物語のどれに対しても懐疑的である、とケイヴは言います。全知全能の神が死から救ってくれると信じる人がいる一方で、全知全能の科学が死から救ってくれると信じる人がいるということは、どちらも確固たる証拠がないということを示唆しています。
つまり、私達は死を恐れるがゆえに、さまざまな不死の物語というバイアスを作り出し、それらはいまだにひとつの答えにたどり着けていないということです。
4. バイアスを乗り越えるために
では、このバイアスを乗り越えることは可能なのでしょうか?
ケイヴは、このことをふたりの哲学者の考えをもとに考察しています。
ひとりは古代ギリシャの哲学者・エピクロスです。エピクロスは「死が怖いことは自然なことだが、理性的なことではない(natural but not rational)」と主張します。そして「死は我々にとって何ものでもない。なぜなら今我々が生きている時には死はここにあらず、死が来る時には我々はすでにいないからだ」と続けます。
もうひとりはオーストリア出身の哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインです。ウィトゲンシュタインは「死とは人生における出来事ではない。私達は死を経験するために生きている訳ではないからだ。その意味で、生に終わりはない。」と言っています。
このふたりの哲学者たちの主張から導き出されるのは、死は経験できないものなので、死を怖がることは自然ではあるけれど、理性的なものではないということです。
死への恐怖は私たちのなかに深く根付いています。いきなり死を恐れないようにするのは難しいでしょう。しかし、この死への恐怖はバイアスとして無意識に作用しているということに気がつけば、死の恐怖が私達の人生に及ぼす影響を最小化することができるかもしれない、というのがケイヴの主張でした。
最後にケイヴは、人生を一冊の本に例えています。本に表紙と裏表紙があるように、人生にも始まりと終わりがあります。始まりと終わりはあれど、本の登場人物は、終わりを見ることはできません。登場人物は物語のなかの一瞬一瞬のみしか知らないのです。なので、登場人物は、本が終わりのページに近づいていることを恐れることはありません。
そして、私達もそうあるべきだと主張します。なぜなら私達は、本の終わりを登場人物が怖がらないように、本の厚さを気にしないように、死について怖がったり、人生の長さを気にしたりする必要がないからです。
唯一大事なことは、あなたが良い物語を作ることだけなのです。
4. おわりに
以上、スティーブン・ケイヴによる死についての4つの物語と、そのバイアスを乗り越えるための考えを紹介しました。
ケイヴの考えも踏まえながら、自分自身が死について考える際にどんなバイアスがかかっているのかについて、改めて目を向けてみてはいかがでしょうか。
[注]
1) 不可知論者とは、宗教に登場するような神のことを否定もしないけれども信じることもない人びとのことを指します。