- 死生学
- 用語解説
- 死
死生学って何?知っておきたい死生学の基礎知識 【前編】
1. はじめに
こんにちは。&for usのがくです。
私は死生学という学問を修め、死生学に関連する記事をなるべく分かりやすく本サイトで発信しています。しかし、そもそも死生学とは何なのか、ということをしばしば聞かれることがあります。
そこで今回は、聞いたことのない人にも死生学がどのような学問なのか、どのように形づくられたのかが分かるように、前編・後編に分けて解説していきます。
※死生学の範囲は広大なため、重要なポイントを概括的にご紹介します。大雑把なまとめ方になるため、より詳しく学びたい方は記事の最後の「おすすめ入門書」をお読みください。
2. 死生学の概要
死生学は比較的新しく誕生した学問です。そのため死生学の定義も統一されたものはなく、人によって異なります。本記事では、死生学を「死に焦点を当てて、生をとらえなおす学問」くらいのふんわりとした位置づけに留めます。
英語圏では、ギリシャ語で死を意味するタナトス(サナトス)と、学問を意味するロゴスを組み合わせて、「サナトロジー(thanatology)」や「デス・スタディーズ(death studies)」、「ライフ&デススタディーズ(life and death studies)」「デス&ライフスタディーズ(death and life studies)」など、さまざまな呼び方がありますが、日本では死生学という呼び名が定着しています。後の第4章にて呼び名に関しては補足をします。
死生学には、学問の世界では歴史のなかで培われてきた規律や作法(ディシプリン/discipline)がきちんと固まっている研究分野(例えば、◯◯学の入門教科書といえばこれ! と決まっているようなもの)と、その規律や作法を超え(インターディシプリン/interdiscipline)、多種多様な方面から行われる研究分野(注1)があります。死生学は後者であるため、一口に死生学といっても文系理系の枠を超えたさまざまな角度からの研究があります。
例えば、日本人の死生観を解き明かす研究(民俗学・歴史学)や、人が死を恐怖する構造の研究(心理学・社会学)、安楽死の是非(倫理学・医学)、宗教と死の関係性を考える研究(宗教学・人類学)、死別を経験した人のケア(看護学・ナラティブ研究)、デス・エデュケーション(教育学)などが挙げられます。
誤解を恐れず大別するならば、「死ぬこと」やそれに逆照射される「生きること」に関する研究であれば、何らかの形で死生学のカテゴリーに含むことができるでしょう。では、この死生学という学問はどのように形づくられていったのでしょうか? 次の項目ではその時代背景を概観していきます。
3. 死生学が形づくられた時代背景
死は人間にとって普遍の疑問であったため、これまでも死に関しての研究は多く行われていましたが、「死生学」として体系的な学問が始まったのは1960年代から1970年代頃といわれています。この時代の前後には大きく3つの注目すべき点があります(注2)。
まずひとつめは「家族形態の変化」です。核家族自体はもう少し前の時代から増え始めていましたが、高度経済成長期の影響もあり、核家族が大幅に増加しました。これにより3世代で共に暮す人びとが少なくなり、祖父母が老いていく姿を子どもたちが見る機会が減っていきました。
ふたつめは「都市化による地縁の衰退」です。昔は地域コミュニティのなかで行われていたものが、都市への人口流入などによってその担い手がいなくなり、地域のつながりである地縁が薄くなりました(注3)。そのため、葬儀や出産などの死生に関わる儀礼は地域で行われることが少なくなり、見えにくくなりました。
最後は「医療の高度化」です。ハイテクな医療を行うことで病気を治すことができる、延命することができると、多くの人が高度な医療を受けることのできる病院を利用するようになりました(注4)。病院や医者にとって死とはいわば敗北のようなものであるため、自然と死が患者から隠されるようになっていきました。
このような時代背景のなかで死はタブーなものとしての認識が強まっていきましたが、一方でタブー視に対して疑問を持つ人も少しずつ増えていきました。次はこの時代の前後に具体的にどのようなことが起こったのかを見ていきましょう。
3. 死の認知運動(death awareness movement)
前述のような時代を背景に、死生に関する様々な動きがありました。これらは「死の認知運動(death awareness movement)」とひとくくりにされます。それらの運動の流れが生まれる先駆けとなっているのは、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスとイギリスの人類学者ジェフリー・ゴーラーです。彼らは、死がタブー化しているということを示唆し、後の死の認知運動の実行者たちはそのタブー化論をもとに様々な運動をするようになりました(より詳しくはコチラへ「【用語解説】死のタブー化論」)。本記事ではそのうちの重要な構成要素を3つ紹介します。
第一は、生命倫理学という分野の展開です。新しい科学技術の登場によって豊かな暮らしがもたらされる反面、命の冒涜と批判されるようなことも増え、様々な倫理的問題点が浮き彫りになってきました。こうした問題にアプローチすべく、アメリカで生命倫理学というものが生まれ、安楽死や脳死臓器移植の問題、遺伝子操作やクローンの問題などの議論が行われました。患者の主権を大切する気風が高まり、自分が自分自身の受ける医療、さらには自分自身の人生を決めていくという、「自己決定権(autonomy)」という概念が広まったのもこの時期です(注5)。
第二は、ホスピス運動についてです。世界ではじめての近代的ホスピスが1967年にロンドンで誕生しました(注6)。イギリスのシシリー・ソンダースという人によって建てられたこの近代的ホスピスは大きな注目を集め、世界各地に導入されるようになりました。大きな特徴としては、「緩和ケア(palliative care)」という考え方が浸透し、延命治療をするのではなく、死にゆく人の痛みや苦しみ(注7)を取り除くケアに重点が置かれ始めたことです。病院の目的が患者の治療と健康の回復であるのに対し、ホスピスの目的は死にゆく人の余生をどのようによりよく生きるかを目指します。このようなクオリティ・オブ・ライフ(QOL)やクオリティ・オブ・デス(QOD)ということが少しずつ重んじられるようになりました。
第三は、死に関連する一連の研究が立て続けに発表されたことです。ハーマン・ファイフェルという心理学者が1959年に『死の意味するもの』という論文集を発刊して以来、それまでタブー視されがちだった死にまつわる研究が、心理学や医療の領域を中心に行われるようになりました。特に大きな影響をもたらしたのは、エリザベス・キューブラー=ロスの1969年の著作『死の瞬間』です。彼女は医者という立場から末期患者との対話を記録し、患者が死を受け入れるようになるプロセスについて考察しました(より詳しくはコチラへ「死を受け入れるまでに段階がある?『死の受容モデル』とは」)。批判にさらされることもありましたが、後にこれらの議論は死別体験者へのケア(グリーフケア)の理論へと繋がっていくなど、社会へ大きなインパクトを残しました(より詳しくはコチラへ「【用語解説】グリーフケア」)。
これらの3つが大きな構成要素となり、死の認知運動は次第に波及していきました。現在でも終活やデスカフェといった取り組みが行われているのは、この死の認知運動の延長線上に位置付けられるかもしれません。
4. 中間まとめ
以上、死生学がどのような学問であり、どのように形づくられたかについて見てきました。後編では、死生学が日本にどのように導入され、どんな現状にあるのかということを見ていきます。
もっと死生学を学びたいと思ってくれた方へ、おすすめの入門書を紹介します!
おすすめ入門書
①石丸昌彦『死生学入門』、NHK出版、2014.(放送大学教材)
→ 宗教や儀礼的な側面、死生観を中心に話が始まり、メディア論、そしてグリーフケアの領域に入っていきます。内容が少しアップデートされている『死生学のフィールド』(2018)という、同じく放送大学の教材もありますので比較してみるといいかもしれません。
②臨床死生学テキスト編集委員会編『テキスト臨床死生学―日常生活における「生と死」の向き合い方』、勁草書房、2014.
→ 臨床現場における死生学の入門書。医療やケアの話が中心です。
③清水哲郎・島薗進編『ケア従事者のための死生学』、ヌーヴェルヒロカワ、2010
→ タイトル通り、ケア従事者のための死生学がテーマです。前書よりも死生観的なところまで言及しています。
④清水哲郎・会田薫子編『医療・介護のための死生学入門』、東京大学出版会、2017.
→ 介護も含むケア者が読むべき入門書です。
⑤川島大輔・近藤恵編『はじめての死生心理学―現代社会において、死とともに生きる』、新曜社、2016
→ 心理学的な側面から、発達心理学などをテーマにしています。
[注]
1) こうした研究のことを「学際研究」や「分野横断研究」、「文理融合」などといいます。
2) 実際には複雑な要素が絡み合っていますが、ここではあえて簡潔に分かりやすい形で書いています。また、一部において日本の話と欧米を中心とする世界の話を明確には区別せずに書いています。
3) 社会学の用語ではこのような地縁で結ばれていたコミュニティを「ゲマインシャフト」、それが崩れて特定の目的のみで結ばれる組織を「ゲゼルシャフト」といいます。
4) 日本においては1977年に自宅で亡くなる人の数よりも病院で亡くなる人の数のほうが増え、病院死は2005年まで増加の一途をたどり、80%を超える人が病院で亡くなりました。現在は少しずつ病院死が少なくなってきています。
5) 自己決定権の良し悪しは様々であり、議論の絶えない話題ですが、ここではあくまで中立的に紹介します。
6) メアリー・エイケンヘッドという修道院のマザーの理念のもと、1879 年に設立されたアワー・レイディース・ホスピスを世界最初のホスピスという人や、中世からホスピスは存在していたという主張もありますが、ここでは一旦シシリー・ソンダースのセントクリストファーズ・ホスピスを近代的ホスピスの先駆けとします。
7) 一般的に痛み(ペイン)には、身体的、精神的、社会的、スピリチュアルな痛みがあると言われており、ここで指すのはそれら全ての痛み(トータルペイン)です。
参考文献
アリエス,フィリップ 1990,『死を前にした人間』成瀬駒男訳,みすず書房.
安藤泰至,2008,「死生学と生命倫理――『よい死』をめぐる言説を中心に」島薗進・竹内整一編『死生学 1――死生学とは何か』東京大学出版会,31-51.
池澤優,2017,「死生学とは何か――過去に学び、現在に向き合い、未来を展望する」清水哲郎・会田薫子編『医療・介護のための死生学入門』東京大学出版会,1-30.
キューブラー=ロス,エリザベス 2001; 『死ぬ瞬間―死とその過程について』,鈴木晶訳,中公文庫.
ゴーラー,ジェフリー 1986,『死と悲しみの社会学』,宇都宮輝夫訳,ヨルダン社.
島薗進,2008,「死生学とは何か――日本での形成過程を顧みて」島薗進・竹内整一編『死生学 1――死生学とは何か』東京大学出版会,9-30.
清水哲郎,2017,「臨床死生学の射程――「最期まで自分らしく生きる」ために」清水哲郎・会田薫子編『医療・介護のための死生学入門』東京大学出版会,31-74.
平山正実,1991,『死生学とはなにか』日本評論社.
ファイフェル,ハーマン 1973; 『死の意味するもの』,大原健士郎・勝俣瑛史・本間修訳,岩崎学術出版社.
諸岡了介 2020;「近代ホスピス成立の歴史的・宗教的背景―創設物語の再検討」『現代宗教』, 国際宗教研究所.
山崎浩司,2014,「死生学とは何か」石丸昌彦編『死生学入門』放送大学教育振興会,.
山崎浩司,2018,「死生学のフィールド」石丸昌彦・山崎浩司編『死生学のフィールド』放送大学教育振興会,11-25.
山崎浩司,2014,「死生学の理論と展望」石丸昌彦編『死生学入門』放送大学教育振興会,239-253.
山崎浩司,2014,「臨床死生学の基盤」臨床死生学テキスト編集委員会編『テキスト臨床死生学――日常生活における「生と死」の向き合い方』勁草書房,3-14.