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死の準備教育って何?デス・エデュケーションの研究者に聞いてみた/後編

昨今医療や介護の現場を中心に広まりを見せつつある、「デス・エデュケーション」についてご紹介している本企画。本企画の前編記事ではその言葉の意味や日本国内で浸透したきっかけについてご紹介してきましたが、後編では、現在どのようなシーンで取り入れられているのかや、「デス・エデュケーション」の浸透における壁について、大学院で研究をしている看護師の李さんに引き続きお話を伺います。

――デス・エデュケーションは現在どのようなシーンで取り入れられていますか?

李さん:現在は大きく分けると①医学看護教育、②義務教育課程、③終活の三つの場に分類できます。

医学看護教育というのは、医師や看護師などの医療従事者を目指す人たちへの教育のことです。自分自身のより明確な死生観を持つことが患者さんへのケアにつながると考えています。死にゆく患者とその家族に対して、医師の立場ならどのように死の事実を伝えるか、看護師の立場ならどのように患者や家族を支えるか、といったことを学び、自分自身の死生観を深掘りしていくことで、よりよいケアができるのではないでしょうか。

例えば、より長く生きるために延命治療をしたい人もいれば、管まみれになってまで延命したくないと考える人もいるでしょう。そうした人に対して正確にメリット・デメリットを伝え、患者や家族とともに考えていくことができるかどうか、ということを教えるのがデス・エデュケーションのここでの使われ方です。しかし、実態としてはデス・エデュケーションという名前で授業を行っているケースは稀で、ほとんどの場合「緩和ケア」や「終末期医療」などの授業のなかに織り込まれています。

義務教育課程においては、全ての学校で行われているわけではありませんが、1980年代から2000年代にかけて、一部の学校で「デス・エデュケーション」という名の授業が行われていました。一回きりの特別講義としてだけではなく、カリキュラムの中に入れられて年間を通して行われていたところもあります。しかし、同じ教材を同じように扱うのではなく、生徒の年齢や先生の死生観によって扱う内容は異なっていました。

例えば、命がテーマのドラマを見る授業や、ガンについて詳しく知る授業、ワークショップ型の授業やホスピスを実際に見学する授業など多岐にわたります。共通しているのは、道徳や保健体育の単元で取り扱われていることです。

また最近は、がん対策基本法というものが施行されて、小学校からがん教育というものをやりましょうと決まりました。がん教育の中には、実際のがんサバイバーの方の話や、がん遺族の話を聞くといった内容が組み入れられるようになっていますが、これもデス・エデュケーションのひとつといえるでしょう。

最後に終活におけるデス・エデュケーションについてですが、アンドフォーアスが運営している「死のワークショップ」などのイベント や、デスカフェ、死の体験旅行といった動きは、デス・エデュケーションの中の枠組みとして捉えられると思います。また、介護の場においてアドバンス・ケア・プランニング(ACP)グリーフケアなどが取り入れられるようになっていることも、デス・エデュケーションといえるでしょう。

終活の場は、そのことに興味ある人しか来ないので、他の教育とはカラーが変わります。青年期の死への教育ではなく、老年期における死の捉え方などがメインのテーマになってくるでしょう。私自身はそこまでそうした終活領域は詳しくないですが、「死」に向き合い、「今をどう生きるか」を問うことに関しては年齢相応の内容はあれど、どの年代の人にも必要なことであると考えます。

――デス・エデュケーションを取り入れることにはどのようなメリットがあるのでしょうか?

李さん:さまざまな研究が行われているのであくまでごく一部ですが、例えば義務教育課程におけるデス・エデュケーションを研究した論文によると、デス・エデュケーションを受けることで「死ね」「殺すぞ」のような人を傷つける言葉を使うことが減り、自分の命、人の命を重んじるようになるといわれています。

また、多くの研究でデス・エデュケーションの実施により死の恐怖が減少するということが主張されています。個人的には、死の恐怖を減少させることが必ずしも正しいとは限らないと思っていますが、特定の人にはプラスの影響を与えるでしょう。

さらに、デス・エデュケーションを行うことによって、大切な人へ思いを伝えようとする割合が上昇するという研究や、死に対しての関心が上がるという研究もあります。こうした研究は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の促進などにもつながっていくでしょう。

しかし、デス・エデュケーションを実施することによって実際に人と話せるようになるのかということについての研究はまだないため、自分が研究していきたいと思っています。

――今後デス・エデュケーションが広まっていく上での課題などはありますか?

李さん:海外では、デス・エデュケーションの取り組みを肯定的に捉えている一方で、範囲が広すぎるためにカバーしきれないという問題が挙げられています。日本においても、基本的には賛成という実態調査はあるものの、日本はそもそも死に対してのタブー視がまだまだ根強いので、乗り越える壁は欧米に比べて多い印象です。

また、こうした教育を誰が行うべきかということも議論されています。例えば、アイルランドの研究では、子を持つ親の80%、教員の63%がデス・エデュケーションの志には賛成している一方で、半数以上の親、教員はそうした教育を自分で行うことは難しいと感じており、親がやるべきある、教員がやるべきある、はたまた教会がやるべきであるというように責任を押しつけあっているといわれています。

仮に、誰がデス・エデュケーションを行うべきかという役割が決まったとしても、マニュアルやガイドラインがあるわけではないため、授業実施者の死生観などに影響を受け、デス・エデュケーションの効果の出方も変わってきます。様々な死生観に触れることは良いことだとは思いますが、授業のある程度の統一性が必要になってくるのではないでしょうか。

――本日はお話ありがとうございました。

年齢や性別、国籍に関わらず、いずれ死にゆく私たちはみな、デス・エデュケーションに向き合っていく必要があるのかもしれません。「死」に向き合い、「今をどう生きるか」を問うデス・エデュケーション。みなさんの周りでどのようなものがあるか、今一度考えてみて身近な人とお話してみてはいかがでしょうか。

 

参考記事:死の準備教育って何?デス・エデュケーションの研究者に聞いてみた/前編

 

TEXT:市川岳

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李紀慧

李紀慧

横浜生まれ。中学3年時に母親を癌で亡くしたことを機に慶應義塾大学看護医療学部へ入学。在学中はイギリスへのホスピスボランティア留学をし、日本とイギリスでのホスピスの違いを学ぶ。大学卒業後はがん研有明病院、婦人科病棟で看護師として勤務。現在は上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻博士前期課程に在籍し、思春期を対象としたDeath Educationの研究を行う。 目指しているのは「誰もが生きた喜びの中で人生の幕を閉じることができる社会」。

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