- 死生観インタビュー
- 50代
きっかけは一冊の本。55歳で決意した1年間の休職と、その理由。
ある会社の取締役として現役バリバリで働いていながら、突然1年間の休職を決めたという木田さん(55歳)に、人生観・死生観についてお話をお伺いしました。
ーー1年間お仕事を休まれるというお話ですが、とても大きな決断だったと思います。まずはその理由について教えてください。
実は、『DIE WITH ZERO』という一冊の本を読んだことがきっかけなんです。
この本を読んで印象に残った点が2つあります。
ひとつは、死ぬ瞬間にお金が残っていても勿体ないということ。
もうひとつは、年齢とともに感受性、もしくはある経験から得られる効用が低下していくということです。
これまで「十分な財産(お金)を作れば、安心で幸せな人生が手に入るのだろう」と、そんな風に思いながらお金を稼ぐために必死に働いてきました。
でも、この作品に触れたことで「人生を幸せにするのは、お金ではなく思い出や経験だ」とということ、そして「死ぬときに財産が残っていることは、その分の思い出や経験を捨てたのと一緒」といったことに気付かされたんですね。
例えば、年収1,000万円の人が5,000万円のお金を残して死んだ場合、5年分無駄に働いていて、その分楽しい経験をする機会を失っているということです。
また、「年齢とともに感受性は低下する」というメッセージにも共感できました。同じ経験でも、おそらく50代のいま経験して得られる喜びよりも、20代の私が経験して得られる喜びが大きかったのではないかと思うのです。
そのようなことを考えながら、このタイミングで人生を逆算して「数十年後のためにお金と時間をとっておくよりも、今この時期にお金と時間を使うべきなのではないか」と思うようになりました。
また、そんなことを考えていた時期に父親が倒れたことも自分の死生観に影響を与えました。加齢とともに感受性が低下するリスクだけでなく、病気やケガ、もしくは死のせいで、やりたかったことができなくなるリスクがあることも強烈に意識させられたのです。
そこで、まだ元気なうちに仕事以外で自分の人生でやりたかったことをするために、1年間の休職を決意しました。
すごく久々に、仕事にまったく関与しない生活を送ることになります。
ーーお父様のご病気が人生を見直すきっかけのひとつだったとのことですが、今まで身近な方の死を経験したことはありますか?
あります。そして、その体験については後悔の念も伴っています。
私が会社員を辞めて未経験の別業界で独立したとき、事業がまったくうまくいかずにどん底を経験したのですが、そのときにお世話になった業界の先輩がいました。
右も左もわからない自分は先輩の店でアルバイトとして働かせてもらいながら、沢山のことを教えてもらいました。
なかでも恩を感じているのは、その方に「お金を沢山稼ぎたいんです。」と相談したときのこと。先輩は「それならこの業界にいるべきじゃない。業界のトップでも全然稼げていない。他の業界に行け」と、アドバイスをくれたんです。
そのアドバイスがきっかけとなり、自分は業界を変えての再チャレンジを決意し、自分にとっての成功を収めることができました。だから先輩にはすごく感謝しています。
その後、先輩には挨拶に行かなければいけないとずっと思っていたのですが、自分の仕事も順調に回っていたので忙しく、数年間やりとりできていませんでした。
あるとき、ようやく時間ができたので先輩の店を尋ねたところ、お店が閉店していました。嫌な予感がしてFacebookで先輩のページにアクセスすると、そこで先輩が亡くなっていたという事実を知ったんです。
ーー知人友人が亡くなったことを後から知る、というケースが身の回りでも増えている気がします。
そうですね。気持ちの整理がなかなか難しいです。
どれだけ忙しくても、少しの時間を作って挨拶には行けたはず。
仕事が回りはじめてすぐに報告とお礼をしに行かなかったことを、すごく後悔しています。
今しないといけないことは、何をおいても今しなければいけない。
そう強く思うようになりました。
ーー1年間のお休み期間は、どのようなことをされるのでしょうか?
いままさに、「やりたいことリスト」を作っているところです。
1日1本映画を観たり、お昼からお酒を飲んだり。
釣りが好きで船舶免許も持っているので、海の近くに滞在して気が向いたときにボートに乗って釣りに出かけたりしたいですね。
釣った魚をうまく捌けるようになりたいので、料理学校に通ってみるのも良いかもしれない。
……考えているだけで、ワクワクします(笑)。
あとはヨーロッパに長期間滞在する生活もしてみたいですね。
マンスリーマンションを借りて、1ヵ月毎に国を移動していく。
駐在経験もあって海外暮らしは好きなので、もう一度海外に長期滞在する期間が人生にあったら幸せだなと思います。
ーーすごく楽しそうですね!ご家族と過ごされるのでしょうか?
妻と過ごそうと思っています。
私たちはみんな、同時に複数の責務を負っていると思います。
仕事上であれば部下としての責務、上司としての責務、取締役としての責務……。
家族であれば夫としての責務、父親としての責務、子どもとしての責務……。
私は今まで、どちらかというと仕事上の責務を果たすことに注力してしまっており、家庭内の責務を果たすことを少し後回しにしてしまっていたな、という後悔があるので、特にこの1年間は家族と一緒に過ごしたいです。
ーー先ほどお話のあった「やりたいことリスト」と関連して、何か終活をされていることはありますか?
これも本の影響なのですが、子どもに対して生前贈与をはじめました。
「年齢とともに感受性は低下する」「同じ金額から得られる効用は若い時期の方が大きい」といったことを考えると、自分が死んだときに財産を子どもに渡すよりも、いま渡した方が全体最適化できると思ったからです。
例えば自分が80代で亡くなったとして、子どもが50代くらい。子どもとしても、そんな遅い時期にもらうよりも、出費がかさむ20代とか30代の時期に前もってもらった方が助かるんじゃないですかね。
少し工夫すれば税金メリットがある、ということもあります。
ーーご自身は、どのような死生観をお持ちですか?
死んだら、完全に無になると思っています。一方で、高齢の母や父に対しては「死んでも、生まれ変わってまた会えるよ」と言ってあげています。
家族で死について話すときによく話題に出るのが、「はるかな国の兄弟」という作品です。その作品の中では、人間が亡くなったときは全員がナンギヤラという別の場所に行くことになり、そこで家族や友人と落ち合うことになっています。
現世での数年がナンギヤラでは1日という設定になっており、現世で数年数十年亡くなるタイミングがズレてもナンギヤラでは数日のラグになるので、寂しさを感じることも少ない、というお話です。
私やまだ若い人たちは、死に向き合ったうえで「無」という回答を出すことができますが、高齢で死をリアルに感じている両親などにはなかなか言えず、「死んでもきっとまた会えるよ。数日だけナンギヤラで待っていてね」と話しています。そのように優しい話をしてあげるのが、息子としての責務でもあると思います。
ーー本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。インタビューはいかがでしたか?
死については普段なかなか考えることも話す機会もないですが、話してみると楽しかったですし、話すことで自分の考えを整理できた気がします。
休みの時期に、これからの人生のことを考えてみたいと思います。
Illustration: banbino_e