- 死生観インタビュー
- 30代
「不思議と悲しくない。」 喪主が感じた葬儀の意味とは。
先月にお父様を亡くされたばかりのこうさん(38才)に、お父様の葬儀を通じて気づいたことについて、お話を聞いてみました。
ーー先月、お父様を亡くされたと伺いました。精神的なショックがあるのではないでしょうか?
不思議と、悲しさをそこまで感じていない自分がいるんですよね。
父は数年前にがんになり、去年までは抗がん剤治療をしていたのですが、今年に入ってからは家に戻って生活していました。
亡くなる1週間前から入院することにはなったのですが、寝たきりの状態や植物人間のような時期はなく、そこについては良かったのかなと思っています。
父は夜10時ごろに亡くなったのですが、私はその日の夕方に病院にお見舞いに行きました。
病気が進行しており口頭での会話は出来ませんでしたが、筆談をしたり、握手をしたりとコミュニケーションも取れていたんです。
思うに、自分がそこまで悲しい気持ちになっていない理由はきっといくつかあるのですが、
人生最後の一日までコミュニケーションが取れたことも大きいと思います。
葬儀社やお墓についての話も生きている間にすることができました。
あとは、父から影響をもらった自分たちが生きていることで、父の存在が完全にこの世界から無くなったという気がしない、ということもあります。
私は色んな人から「父に似ている」と言われていて、特に考え方や話し方は影響を受けていると自分でも感じることがよくあります。父が生きるなかで自分を含む周りの人間に与えた影響が、これからもこの世界に存在し続けていくんだろうな、という感覚はあります。
最後の最後までコミュニケーションも取れて大切な話もできて、父に対してやり残したこともあまり思いつかないし、父がくれたものが自分の中に息づいているから、不思議と悲しくないんだろうと自分では分析しています。
ーーご葬儀では喪主を務められたとのことですが、大変でしたか?
葬儀社については生前に父の希望を聞いていたり、父が葬儀代金も遺しておいてくれたりしていたので、比較的スムーズに執り行えたと思います。
それでも大変でしたが、父が準備をしていなかったらもっと大変だったと思います。
葬儀の内容にも少し工夫をしました。
父は釣りが大好きだったので、遺影は釣った魚と写っている写真にしたり、戒名に「釣」という字を入れていただいたりしました。
きっと父も満足していると思います。
また、葬儀の準備や実施を通して心の整理もつきました。
父の身体を清めたり、お経を聞いたり、お骨を拾ったりと、決められた行動1つひとつを通じて父の死という事実と向き合えた気がします。
あとは、親戚との繋がりを感じられたことも良かったですね。何十年も会っていなかった親戚とグループLINEで繋がったりして。
そう考えると、葬儀っていうのは必ずしも故人のためだけじゃなくて、遺された人のためのものなんですね。
ーーご自身は、いわゆる終活はされていますか?
特にしていないのですが、そろそろエンディングノートを書こうと思っています。
知り合いからエンディングノートをもらう機会があり、ノート自体は手元にあるのですが、
なんとなく書かないまま今に至ってしまいました。
人生いつ終わるかわからない、という考えは持っているのですが、一方で若いし病気でもないし、まだいいかなという思いもありました。
ですが、今回の父との別れを通して、自分も書かなきゃなという気持ちが高まっています。
ーー最後の質問になりますが、人生最後に食べたいものはありますか?
鰻が食べたいです。
地元・茨城県の牛久沼はうな丼発祥の地といわれていて、自分自身、結婚の挨拶の会などこれまでの人生の節目でよく食べてきました。
特に鶴舞家という湖のほとりにある鰻屋さんは景色も良く、晴れた日には富士山と筑波山をどちらも見ることができ、お気に入りの店です。オススメですよ!
今度、父の四十九日があります。
その日のお昼には鰻屋さんに行こうか、なんて家族と話しています。
ーー本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。インタビューはいかがでしたか?
「死」を人生のゴールとして捉えて意識することでより良く生きられるのでは、という気づきが生まれました。
自分の中でも定期的に振り返りたいし、大切な人とも対話したいですね。
Illustration: banbino_e