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死の準備教育って何?デス・エデュケーションの研究者に聞いてみた/前編
みなさんは「デス・エデュケーション」という言葉を聞いたことがありますか? 日本語では「死への準備教育」と訳されるこの概念は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)などの需要の高まりとあわせて国内外で実践されていますが、その実情を知らない人もまだまだ多いのでは。
今回はデス・エデュケーションについて、大学院で研究をしている看護師の李紀慧さんにインタビュー。デス・エデュケーションの概要やメリット、課題などについてうかがいました。
参考記事:【用語解説】ACP/アドバンス・ケア・プランニング」
――そもそもデス・エデュケーションとはどのようなものでしょうか?
李さん:定義は人によってさまざまだと思いますが、アメリカの『死の百科事典』には「死の意味や、死にゆく過程、悲嘆、死別について理解し、その知識を促進する非常にバラエティに富んだ計画された教育経験に適用される言葉である」と記載されています。
医学や看護、教育現場、さまざまな分野で使われている言葉ではありますが、概して、死についての多様な題材(グリーフ・延命治療・臓器移植等)を取り扱い、「死」に向き合い、「今をどう生きるか」を問う教育といえると思います。また、将来必ず直面する「死」に対して生じるグリーフ反応への予防教育であるともいえます。
――デス・エデュケーションが誕生した背景と、国内で浸透しはじめた時期やきっかけを教えてください。
李さん:もともとはアメリカで生まれた考え方で、日本においては1980年代にアルフォンス・デーケンという哲学者が広めていくきっかけをつくりました。最初は、今まさに私が所属している上智大学の「死の哲学」という授業にデーケン先生がデス・エデュケーションを導入しました。その授業が徐々に医療従事者の中で話題になり、特別授業として医療従事者とも深く関わるようになったそうです。
なぜ医療従事者が関わってくるかという理由は、ホスピスが世界的に誕生し始めたことと関連しています。1967年、イギリスのシシリー・ソンダース博士の手によって、セントクリストファー・ホスピスという世界初のホスピスが誕生しました。その後、日本でもホスピスを作っていこうという流れになるのですが、当時の日本の医療従事者はホスピスのことをほとんど知りませんでした。そのため、ホスピスにおいてどのように死と向き合えば良いか勉強するために、医療者が受講し始めたそうです。デーケン先生はその後1986年に『死を教える 死への準備教育』という本を執筆しており、徐々に日本各地にデス・エデュケーションが広まっていきました。
また、大きな転換点としてデス・エデュケーション的な考え方が義務教育課程に導入されるようになったことが挙げられます。ちょうどこの時期は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、神戸の連続児童殺傷事件などが重なり、命の重みを伝える教育が必要とされていました。そして、道徳教育の中に生命の尊重が組み込まれるようになりました。これは広い意味でのデス・エデュケーションといえるでしょう。
――なぜ李さんはデス・エデュケーションを研究しているのでしょうか?
李さん:個人的な話ですが、大切な家族を亡くした経験をした際に、死について話すことができなかったことを後悔したからです。また、看護師として病院に3年間勤めましたが、医療者も死について話せていないし、患者さんも考えたことがないという状況を目の当たりにしました。医療者と患者や家族との歩幅が合わないまま、病気は進行し、認知機能が落ち、話し合いができなくなる場面は多くあります。
そういう意味で、死について話し合うことにはタイムリミットがあるのです。「この人は、この場所で亡くなることを本当に望んでいたのだろうか」ということを考えたとしても、それを聞けずに患者さんが亡くなっていく。そうした葛藤を抱えていましたが、死について考える教育があったら、死について話すハードルが少しでも下がるのではないかと考え、デス・エデュケーションに注目するようになりました。現在は、「デス・エデュケーションを行うことで死について話す意欲にどのような影響があるか」という問いを、中高生に焦点を当てて研究しています。
TEXT:市川岳
記事
李紀慧
横浜生まれ。中学3年時に母親を癌で亡くしたことを機に慶應義塾大学看護医療学部へ入学。在学中はイギリスへのホスピスボランティア留学をし、日本とイギリスでのホスピスの違いを学ぶ。大学卒業後はがん研有明病院、婦人科病棟で看護師として勤務。現在は上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻博士前期課程に在籍し、思春期を対象としたDeath Educationの研究を行う。 目指しているのは「誰もが生きた喜びの中で人生の幕を閉じることができる社会」。