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【用語解説】死の人称態論

はじめに

こんにちは。&for usのがくです。
今回は、死生学の基礎的な議論である「死の人称態論」についてご紹介します。
1人称、2人称、3人称の死といった基本的なものだけではなく、“2.5人称”という新たな観点についても焦点を当ててみましょう。

「死の人称態論」とは?

死の人称態論とは、死を考えるときのひとつのとらえ方で、1人称、2人称といった人称態別に死を分類する考え方のことです(英語の授業で習った、○○人称に置き換えて考えると想像しやすいかもしれません)。
死については古代からさまざまな議論がありますが、未だに分からないことばかり。その大きな理由のひとつとして、「死を知覚することができない」ことが挙げられます。そのため、死を論じる上ではさまざまな分類や概念を使い、死を多様な角度から考えることが大切だとされてきました。
そうしたなか、死についての人称態論を初めて展開した人が現れます。フランスの哲学者、ウラジーミル・ジャンケレヴィッチです。ジャンケレヴィッチは、死は1人称、2人称、3人称の3つに分類することができると提唱しました。

「1人称の死」とは英語でいうところの「I」で、自分自身の死のことです。自身の死は、絶対性と不可知性という性質を持っています。「自分は絶対に死ぬけれど、自分の死を知覚することはできない」ということで、例えば自分の遺体を見ることはできませんし、自分のお葬式をあげることもできません。

「2人称の死」は英語でいうところの「you」で、身近な人の死のこと。1人称と3人称の死の中間的なポジションで、親子や兄弟姉妹、恋人、友人などの死を指します。人生の同じ時間を分け合った人の死は、ひどく辛い喪失経験として大きな悲嘆(グリーフ)を残す場合が多くあります(より詳しくはコチラへ「【用語解説】「グリーフケア」」)。

そして「3人称の死」は、英語でいうところの「he/she/it/they」で、他者の死、つまり第三者の立場から冷静に見ることのできる死のこと。交通事故で命を落とした人や、海外での何万人にも及ぶ餓死といった報道、はたまたテレビやゲームの中で起こるフィクションの死は、その場その場で多少なり心が動かされたとしても、翌日以降の生活が劇的に変わることはないでしょう。

なんで人称態で分類するの?

このように死を人称態で切り分けて考えることに、どのような意味があるのでしょうか。ひとつは、時代的、歴史的背景をより理解しやすくなるということが挙げられます。例えば次のような文章があったとします。

「現代日本社会は、近代化を進展させる過程で公的な死の領域を拡大させることになった。」(山崎 2018 p17)
「現代日本のような近代化が進展した社会では、自分や自分の大切な人に降りかかる『私的な死』が、(中略)これまでにない形で鋭い痛みや激しい迷いを伴うものになってきた」(山崎 2014 p13)

これは、死の人称態を使って考えると、「現代日本社会において、3人称の死が増え、1人称の死や2人称の死が鋭い痛みや激しい迷いを伴うものになってきた」と言い換えることができるでしょう。

また、死にゆく人と自分自身との関係性をより明確にするということも挙げられるでしょう。先述の通り自分自身の死は経験することができませんが、他者の死は経験することができます。その他者というのが、自分にとってどういう存在なのかということを“人称態の考え”を使うことで、整理することができます。例えば、先程挙げたような、交通事故で命を落とした人を考えると、ある人にとってはそれはテレビのなかの痛ましい事件のひとつ(3人称の死)かも知れませんが、ある人にとっては取り返しのつかない喪失経験(2人称の死)かもしれません。自分にとって、その人がどれだけ大切な人なのか、ということを考えるために、こうした分類があるのです。

新たな死の人称態論

ここまでは古典的な死の人称態論として、1、2、3人称の死についてご紹介してきました。昨今ではこれらに加え、新たに「2.5人称の死」といった概念を提唱する人もいます。

「2.5人称の死」というのは2人称と3人称の間にある死のことで、医療の文脈と追悼の文脈でそれぞれ違った使われ方をします。医療の文脈においては、死にゆく患者やその家族と、その治療をする医療従事者との関係において使われることが一般的。「この患者が自分の家族だったらどうするか」と、患者に対して一歩歩み寄って考え、その患者家族のケアまで含めた医療の心構えを指します。

追悼の文脈においては、家族のなかで亡くなった人を思い出せる人が少数になり、「〇〇家の先祖」と一括りにされるかされないかの瀬戸際の人を指します。例えば、自分のひいおじいさんのことは記憶のない遠い他者という場合は3人称の死者ですが、血縁者という点では2人称の死者でもあります。そうした人びとを2.5人称の死者と呼ぶことがあります。

おわりに

以上のように、死を考えるうえで「人称態」という分類はひとつの切り口を与えてくれます。近年は3人称の死が溢れ、死がタブー化している時代であると言われています(より詳しくはコチラへ「【用語解説】「死のタブー化論」」)。そうしたなか、2人称の死を経験することは、ある意味1人称の死を予行演習的に考えることにもつながります。日常的には死をあまり意識することの無い我々ですが、大切な人の死(2人称の死)を通して、自分自身の死、そして生と真剣に向き合うことを、教えてくれているのかもしれません。

参考文献
澤井敦,2005,『死と死別の社会学――社会理論からの接近』青弓社.
ジャンケレヴィッチ,ウラジミール 1978; 『死』,仲澤紀雄訳,みすず書房.
水津嘉克,2015,「『人称態』による死の類型化・再考――多様な死・死別のあり方に向き合うために」澤井敦・有末賢編『死別の社会学』青弓社,144-172.
中筋由紀子,2015,「第三人称の死と関わる」澤井敦・有末賢編『死別の社会学』青弓社,232-254.
山崎浩司,2014,「死生学とは何か」石丸昌彦編『死生学入門』放送大学教育振興会,.
山崎浩司,2018,「死生学のフィールド」石丸昌彦・山崎浩司編『死生学のフィールド』放送大学教育振興会,11-25.

記事

市川岳

市川岳

アンドフォーアス株式会社

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科哲学専攻卒業後、葬儀社(むすびす(株)旧:アーバンフューネスコーポレーション)へ入社。エンディングプランナーとして、年間約200家族との打合せ・葬儀を執り行うとともに、死生学カフェや死の体験旅行など様々なイベント企画を通じて「死へのタブー視」と向き合っている。 現在は上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻の博士課程前期1年目で、死とテクノロジーが合わさった「デステック」における倫理的問題のアセスメントを中心に研究を進めている。

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