- 死生観
- ブックレビュー
- 宗教
ブックレビュー『日本人は死んだらどこへ行くのか』(鎌田東二著/PHP研究所)』
0. イントロ
こんにちは。&for us のがくです。
今回はブックレビューとして、『日本人は死んだらどこへ行くのか』(鎌田東二著/PHP研究所)という本についてご紹介します。
この本は、鎌田東二さんという宗教学者・哲学者の方が書かれています。
鎌田さんは上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授、放送大学客員教授など、さまざまな場所で研究をされており(2022年3月時点ではご退官されています)、これまでに多くの論文や著作を残しています。
また、神官の資格を持ち、神主もしながら“神道ソングライター”としてバンド活動もしている、とてもユニークな方です。
そんな鎌田さんが書いた本書『日本人は死んだらどこへ行くのか』は、PHP新書から出ている比較的読みやすい本です。
作品紹介を一部紹介すると、
「・・・宮沢賢治、遠藤周作、本居宣長、柳田國男、折口信夫らの議論から、怨霊思想、和歌の生命力、アニミズム的発想、自分史的観点までをふまえつつ、“死”と“日本人”の関係を結び直し、現代の「安心」を求める意欲作」
(本編より引用/強調は筆者)
「お墓のあり方、生まれ変わり、天国、怨霊・・・『古事記』から『君の名は。』までを読み解き、新たな「安心」を求める」
(カバーより引用/強調は筆者)
とあります。
本書は誰しもが一度は考えたことのある「死んだらどうなるのか」という問いに対して、古来の日本人の考え方を参考にしながら、ある種の「安心」を読者に与えてくれるやさしい本です。
震災や新型コロナウイルスによる猛威などの影響で、死というものを遠いようで近いような距離をもって感じている人が増えている現代人にとって、少しでもその不安をサポートできるようなものを紹介したいという思いから、今回はこの本をご紹介させていただきます。
1. 各章のまとめ
1.1 序章 変容する「死」の風景――孤独、矛盾、そして安心
導入としてのこの序章では、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を例に挙げ、これからの章で語られる日本人の死生観を考える上で重要になる要素(①日本における臨死体験の記述、②民俗学、神話、伝承)や、日本人の「あの世観」の特徴(①多極化、②共同体性)について簡単に触れています。
また、本書がどういった目的で執筆されたのかということ(注1)が書かれているものそしてその目的を達成するための方法が紹介されています。
「死後の世界や霊魂について、“間違いなくある”と考えているわけではない。しかし、だからといって“あるはずがない”と完全否定しているわけでもない。心のどこかで、“もしかしたら、あるのかもしれないな”と漠然とした思いを持っている。そういう方々が多いのではないかと思います。そんな日本人は、死をどのように迎えればいいのか。どのように考えれば安心して死んでいけるのか―――。それが本書の問題意識です。そのことを考えるために、古代以来、日本人が抱いてきた“死んだらどこへ行くのか”についての、さまざまな考え方を見ていきたいと思います。」
(本編より引用/強調は筆者)
これらの問いを、タイトル『日本人は死んだらどこへ行くのか』という言葉にまとめ、古代から中世、近世、そして現代へと日本人の死生観がどのように変化してきたのかを明らかにするのが本書となります。
1.2 第1章 臨死体験、生まれ変わりへの興味―――「死」を探究する
第1章では、遠藤周作の小説『深い河(ディープリバー)』を、前述の『銀河鉄道の夜』や、三島由紀夫、澁澤龍彦らの著作と比較することにより、現代日本人の死生観を浮き彫りにしています。
そこでは、現代日本人は昔のように「死んだら家族を見守る先祖霊になる」や「草葉の陰で見守っている」といった明確な死生観を持っておらず、不透明で曖昧な不可視性の中で、答えのない答えを探していくことが求められる。そしてそこで重要になるのが、「自分が安心できるかどうか」「安らいで死んでいけるのか」、あるいは「身近な者の死に際して、死者と共に安らぎの気持ちを共有することができるのか」ということであり、これらのに対する死の準備教育(注2)の必要性を説いています。
また、序章でも触れられていた「臨死体験」または「生まれ変わり」観念が、「日本人は死んだらどこへ行くのか」という大きな問いを考える上での重要な手がかりであると捉え、日本の歴史における「生まれ変わり」観念の受容についても詳しく述べられています。縄文時代の生まれ変わり思想に始まり、仏教伝来による輪廻思想の導入、近世における明文化、そして近現代での研究対象としての広がりなど幅広い年代に渡って俯瞰していく中で、いくつかの共通項(体外離脱体験など)を見出していきます。そして、死生観が拡散された現代社会において、改めて個々人が死生観について考えねばならない時代になっていること、そしてそのことが「終活」ブームの理由のひとつであることが示唆されます。
1.3 第2章 「縁」をいかに結び直すか―――『先祖の話』と個人の救済
第2章では、冒頭でアニメ『君の名は。』と映画『シン・ゴジラ』が現代日本人の死生観を映し出す一面を持っているということを述べ、その後『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72時間』、『ファミリーヒストリー』といったテレビ番組、SNSの興隆などから「縁」の結び直しに着目します。そしてその対比として、無縁社会になる前の日本の姿を柳田國男の著作『先祖の話』と、弟子である折口信夫の思想とを比べ、読み解きます。ふたりが明らかにしたことは、時代による弔い方の変化を経ながらも一貫して見られるものとしての「魂の世界に行く」ということです。柳田は魂の世界で「ご先祖様」という大きな魂と一体になり、その後生まれ変わって一族の中へと再び戻る循環構造を日本人の民間信仰の中に見る一方で、折口は個人とあの世との関係性を「個的な魂の救済」という言葉で分析しました。無縁社会になる前のこのような死生観を知ることで、無縁社会となった現代から縁を結び直すためのヒントを与えてくれています。
1.4 第3章 『古事記』の死生観―――本居宣長と平田篤胤の安心
第3章では、日本固有の宗教である神道から見た「死」がどのようなものかを浮かび上がらせるために、『古事記』について江戸時代の国学者である本居宣長と弟子の平田篤胤の思想とを比較しながら論を進めていきます。本居宣長は死生観について取り立てて深める必要がないという「安心なきが安心」という姿勢を見せるのに対し、平田篤胤は死後の世界の魂のゆくえまで納得する必要があるという「安心をつくる」発想を持ちました。このどちらの発想も、現代の死生観を考える上で重要であると述べられています。
1.5 第4章 怨霊と鎮魂―――悪しき霊をいかに救うか
第4章では、怨霊と死者供養という観点から、多層に構成されたアニミズム的な死生観を、日本古来の文化興隆の契機としての『古今和歌集』、その後の乱世での『梁塵秘抄』と『新古今和歌集』などの歴史的書物を使って考えます。また、現代の怨霊とも呼ぶべきいじめやSNSでの炎上などによって生じる負の感情へのアプローチ方法として臨床心理学(スピリチュアルケア師、臨床宗教師)や、芸術(能、映画、物語)などが例示され、新しい形の供養が必要であると主張されています。
1.6 第5章 星になる、風になる―――「草木国土悉皆成仏」の思想
第5章では、最初に2000年代ヒットソングの『千の風になって』が現代日本に訴えかける死生観と自然葬の広まりの連関の可能性を提示します。そして、このような死生観の原点は比叡山にあると主張し、比叡山延暦寺の天台宗で育まれた「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしつかじょうぶつ)」という天台本覚思想が、縄文時代からあった日本の死生観を言語化したものであるとしました。そうした全体性・共同性と、現代日本における無縁社会化した個体性の両立こそが求められるとし、章を終えています。
1.7 終章 「死」と「史」と「詩」―――ディープエコロジーと自分史
終章では、今までの話をまとめて、心の救済を求めることが個人に帰結するという点において現代社会が中世の再来のような状況であると言っています。そしてそんな状況の中、中世の無縁社会に対し、親鸞や法然、日蓮などの宗教的リーダーが、念仏やお地蔵さん信仰などを通して苦しんでいる衆生を救おうと努力をし、民衆もそれを受け入れました。しかし、念仏などの信仰がリアリティを持たなくなった現代では、中世の類推としてスピリチュアルケア師や臨床宗教師という仕事が認められつつあり、超宗教的なケアを行う機運が高まっています。また、もうひとつ重要なこととして、「自分の身の回りの”死”を見つめ、それを”歴史的”な視点で位置付け、さらにそれを”物語=詩にすること”」が述べられています。さらに、人間の利のみを見た「シャローエコロジー」に対して「ディープエコロジー」というトータルな生命平等主義に立った大循環を捉えるという思想と生き方から人間社会のあり方を考え直すというマクロ視点と、私自身にとって生と死とは何かという、自分史的なミクロ視点でもみていくことが日本人の思考だと結論付けられています。
2. この本のまとめ、明らかになったこと
以上のまとめとして、本書は日本の死生観の変遷をもとに、無縁社会への警鐘とその対応を歴史の中に求め、その上で自分自身で考え取り組むことの重要性が描かれていました。ある意味乱世とも呼べる現代社会へ、安心を希求するヒントが詰まった本であると言えるでしょう。
例示されている細かな内容まではご紹介しきれないため、ぜひ皆さんにもこれを機に、本書を手に取っていただけると幸いです。
[注]
1) これをリサーチクエスチョンといいます。論文や本などには、何を解き明かすために書かれているのかを記したこのリサーチクエスチョンが書かれていることが多いです。
2) デス・エデュケーションと呼ばれる概念。日本において、死生学の先駆者であるアルフォンス・デーケンが提唱しました。