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Interview

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親孝行はできるときにするべき。若くして父を亡くして思ったこと。

2年前にお父様を亡くされたあかりさん(27才)に、お話を聞いてみました。

ーー2年前にお父様を亡くされたとのことですが、その時のお話をお聞かせください。

ガンが見つかってから約3ヶ月後、父は60歳で亡くなりました。急なことだったので、手続き的な準備も気持ちの準備も出来ていないような状況でした。
亡くなったそのときは、お葬式の準備や銀行が凍結される前の手続きなど、色いろとやらなければいけないことに追われ、まずは目の前のことをこなすことに必死でした。
もちろん母も一緒に動きましたが、指揮はほとんど私がとっていましたね。

最初は悲しいというよりは衝撃でした。そして時間が経つにつれ、悲しみが自分のなかに侵入してきた感覚です。

父はあまり働き者ではないしギャンブルもするような人で、あまりいい父親というわけではありませんでした。特段仲が良かったわけでもありません。
しかし、お葬式をした際にいらしてくださった参列者達の話を聞いてみると、だらしないところはあるけど、みんなから愛される人だったんだということに気付かされ、父のイメージが変わりました。それ以来、父という存在であると同時に、ひとりの人間として父を捉えるようになりました。

ある意味、少し一方的かもしれませんが、亡くなった後でも人との関係性は変えられるんだなということを考えましたね。
人はいつ死ぬかわからないし、死んだ後は何も残らない。ただ遺された人の中には残るんだということを、父の死を通して感じることができました。

ーーそうした経験を経て、今後はどのように生きていきたいですか?

親孝行はできるときにするべきだなと気付かされました。なので、今はできる限り母に対して親孝行をしています。もうすぐ誕生日なので、遠方ですが実家に帰ってお祝いしようと計画しています。
結局、「〇〇ができなかった」「〇〇してあげたかった」というのは、極論言えばこっち側のエゴなので、自分がどうしたいかを考えるようにしていますね。自分が納得いくまで、親にやってあげられたと思えるようにしていきたいと思います。
あとは、私自身が父の死に直面したときに大変だったことがたくさんあったので、そうしたことは周りの友達とかに伝えていきたいですね。実家が田舎の農家だったので、田舎のお葬式のやり方とか、金融資産以外の資産の取り扱いとか、家業を廃業するノウハウなどです。
私は、大事なことは人生をどう意味づけるかだと思っているので、父の死もある意味そういった親孝行の大切さを教えてくれたと捉えることもできるかもしれません。

ーー「人生をどう意味づけるか」という考えに至ったきっかけはありますか?

フランクルの『夜と霧』を読んでそうしたことを考えました。

この本は、精神科医である作者本人が、ナチス統治下の強制収容所に入れられ、そこでの生活やその時の心情変化を淡々と描いているノンフィクションです。

私はこの本がとても大好きで、5年ほど前に初めて読んでから何度も読み返しています。
辛いとき、しんどいとき、大事な人を亡くしたときなど、人生に意味を見いだせなくなったときにヒントを与えてくれる本だと思います。

お気に入りの箇所を引用します。

最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。

そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』より

この本を読むと、意味があるとかないとかの次元で人生を考えるべきじゃない、どうして生きているかということは与えられるものではなく、自分で意味付けするものなのだ、ということに気付かされます。
描写がリアルなので、少し苦手な人もいるかもしれませんが、最後の方は明るくなっていき、意外とスッキリ明るい気持ちになれるので、オススメです。

ーーとてもすてきな考え方ですね。ちなみにあかりさんは、人が死んだらどうなると思っているんでしょうか?

土に返って終わりで、意識も残らないと思っています。いわゆる無ですね。
というのも、先程話した父との死別以来、母も妹も私も病気になったり、仕事がうまくいかなかったりと、家族にたくさんの災難が降りかかったんです。
そのとき「お父さん、全然守ってくれないやん(笑)」、って思いました。もちろん、守ってくれてこれなのかもしれませんがね。
昔からなんとなくそう思っていたんですが、父の死を経て、より一層確信に変わりました。今は落ち着いたのでよかったです。

ーー落ち着いてよかったですね。そんなたくさんの経験をされているあかりさんですが、死ぬ前に何かやりたいことはありますか?

無人島で食べたご飯の味が忘れられず、また食べたいと思います。ただ炊いたご飯に醤油をかけたやつです。

昔、『イントゥ・ザ・ワイルド(Into the Wild)』という、アラスカでサバイバルする映画を観て、一回サバイバル体験をしてみたいと思い、サバイバルツアーに参加したことがありまして。
そこでは、お米など最小限は持っていけたのですが、基本的には自分で狩猟採集をする自給自足生活。でも、一日目は何も取れなくて……。
極限までお腹が空いた時に食べた、ただのご飯に醤油かけたやつが美味しくて美味しくて。ご飯のありがたみを改めて知りましたね。
元々、何を食べても美味しいと感じるタイプで、高級レストランで何かを食べてもカップ焼きそばを食べても幸せ度は変わらないくらいなんですが、あの時のご飯は最高に幸せでしたね。
とはいえ、無人島にはもう行きたくありませんが(笑)。

ーー本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。インタビューはいかがでしたか?

今まで、自分で考えたり書いてみたりしたことはありましたが、こうして声に出して喋ったことは初めてで新鮮でした。
でも、話してみると自分の考えを少し客観視できるようになったかもしれません。
こうやって死について気軽に話せる場があったらいいなって思いました。

Illustration: banbino_e

インタビュアー

市川岳

市川岳

アンドフォーアス株式会社

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科哲学専攻卒業後、葬儀社(むすびす(株)旧:アーバンフューネスコーポレーション)へ入社。エンディングプランナーとして、年間約200家族との打合せ・葬儀を執り行うとともに、死生学カフェや死の体験旅行など様々なイベント企画を通じて「死へのタブー視」と向き合っている。 現在は上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻の博士課程前期1年目で、死とテクノロジーが合わさった「デステック」における倫理的問題のアセスメントを中心に研究を進めている。

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