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Interview

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  • 死生観インタビュー
  • 60代

生まれてから身に付けてきたものを一枚ずつ脱いで、“なんでもない自分”になる。

元・大学教員で、現在は児童福祉の分野の仕事に携わりながら、新たに大学院で学びをはじめた高橋さん(60代)。遺される家族のために、自分に今からできることを整理しておきたいということで、エンディングノートや遺影写真撮影、また散骨の契約まで事前に準備されています。そんな高橋さんに、人生観・死生観についてお話をお伺いしました。

ーーすでに終活をされていると伺いました。具体的にどのようなことをされているか教えていただけますか?

「葬送の自由をすすめる会」というNPO法人の会員で、そこで自然葬として海洋散骨を生前契約しています。また、遺影写真の撮影も事前に行いました。私が死んだとき、夫と息子のふたりが私の遺影写真をちゃんと選べるかどうか心配だったので(笑)心配になるくらいなら、自分で事前に準備してしまおうかと思いました。私が死んだら何をしなきゃいけないのかという基本的なことから、棺に何を入れてほしいかということまでエンディングノートに残しています。まだきちんとできていないのは、法的な意味での遺言の作成くらいですかね。

ーーそうした準備を事前にしておこうという考えに至った経緯を教えてください。

いろいろな要素が絡まりあっていると思います。まず母の死を経験したとき、ショックというか切ないというか、必ず死があるんだなと実感しました。母は難病で亡くなり、父はその後数ヶ月で後を追うように亡くなりました。母は明け方に、誰かが駆けつける間もなくひとりで死んでしまいましたが、逆に父はみんなに囲まれながら他界しました。

また、仕事では特別支援学校で教諭として関わり、その後大学の教員をしており、筋ジストロフィー症の子どもなどに関わる機会も多かったんですね。

2011年にガンになって手術をした際、人間って何かあったら死ぬんだなということを現実味をもって思うようになりました。そして、死生学という学問を学びたいということを、アルフォンス・デーケン先生という日本のデス・エデュケーションの先駆者の方を通して思うようになりました。その後、上智大学のグリーフケア研究所で開催されているグリーフケア人材養成講座に1年間参加し、その後上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻に博士前期課程として入学しました。

そうしたことから死について考える機会もあり、自分が死んだらどうしてほしいかを考えていたあるとき、20年前くらいの新聞に投稿されていた「自分が死んだら宇宙のチリになる」という詩を思い出したんですね。とても良い詩だと思っていて。私、自分が死んだら、無になるんだと思っているんです。

ーー無になる、ですか?

よく生まれ変わったら何になりたいとか聞かれますが、そもそも生まれ変わらないと思っています。というより「生まれ変わりたくない」が正確かもしれませんね。もし仮にどうしても生まれ変わるとしたら、川底の石のようにゆっくりと時間をかけて変わっていくものがいいかなぁ。死んだら無なので、お墓も要らないし、粉にして海にまいてくれればいいかなと思って。それでこういう終活をしているのかもしれません。

ーー高橋さんは、死ぬまでにやりたい目標などはあるのでしょうか?

私、お芝居好きなんですよ。大学時代から芝居が好きで、だから良いお芝居を観に行きたいですね。小劇場とかよく好きで行っていました。ご存知ないかもしれませんが、つかこうへいさんや、あとは昔の高橋一生さんが小劇場に出ていた頃から観ていたりしました。

もう無くなってしまったんですけど、渋谷のジァン・ジァンとか、下北沢などにあるおどろおどろしい雰囲気の劇場が好きでした。あとは死ぬ間際に、20年以上行きつけの美容院でカットしてから逝きたいなあって思います。髪を赤色に染めてみたりして(笑)。千葉県の館山にある美容院で、看板が無くて、新規のお客様NGのお店。おもしろいんですよ。

ーーご自身の死生観に影響を与えた作品はありますか?

朝井リョウさんの小説『桐島、部活やめるってよ(2010)』が好きです。そのなかで、「生きる」という意味を考えさせられました。映画もありますが、小説の方がおすすめです。この本は朝井さんが大学生のころに書いた作品で、そのなかで映画部の生徒の描写が「ひかりだった」と表現されていたことが印象的で、生きるって案外こういうことなのかもしれない、と感動しました。

それこそこの本や朝井さんの『何者』といった他の作品でも問われている通り、私自身も人生の中で何者になろうかともがいていた時期がありました。 

人間って、生まれてからどんどんといろいろなものを身に付けていくじゃないですか。生まれたときは誰かの子どもであって、学生になったら誰かの生徒になって、結婚したら誰かの妻(または夫)になって、子どもが生まれたら母(または父)になって、といった具合です。十二単(じゅうにひとえ)のように、たくさん背負っていくのです。

しかし、今になってそういった今まで着てきたものを脱いでいくという感覚が生まれました。現在、自分の子どもにも自身の家庭があって、母親としての役割を終えたと思います。着てきたものを脱いでいって、最後に残ったものが自分なのかな、と思います。なんでもない自分。そして、それがいちばん楽なのです。

たまたま今この時代に生まれて、この時代を生きていく。そんな中で、自分の人生の中でやりたいことをやれるものなんてごく一部なのだと思います。それでも自分なりにあがくのが人間なんですよね。

ーー読者の方の中には、自身が着ている重荷に苦しんでいる人もいるかと思います。そういった方々へ向けての言葉をいただけますか?

女性は特にそうなのかもしれないですが、そういうプレッシャーが重なっていくことはよくあると思います。自分の仕事があって、妻の役割があって、母親の役割があって、娘の役割があって……。こんなの完璧にこなせないなって思いましたね。

特に子どもを持つことって世間では賛美されてるけれど、朝日新聞の記者の方が書いたある本で、「子どもを持つことは自由への足かせである」と書いてありました。普通は子どものすばらしさを書いている本が多いなかで、とても勇気のいる文章だったと思いますが、確かに世間では子どもを持つことが大げさに賛美されすぎていると思いました。結婚に関しても、しなくてはいけないとは思わないです。そうやって自由な選択肢が増えていっても、どうしてもプレッシャーが重くなる時もあると思います。重くなったとき、私の場合はひとり旅によく行きました。一泊でいいので、どこかへ思いつきで行ってしまったり、成田空港のそばにあるホテルに泊まって飛行機が飛んでいるのを眺めたりしてました。空港の煌々と照っているライトが一斉に消えるのがとてもきれいなんですよ! 飛行機に乗るのは嫌いですけどね(笑)。とにかく、プレッシャーから離れることがいちばん大切です。プレッシャーから離れられるのであれば、旅でも趣味に没頭するでも何でも良いと思います。

ーー本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。インタビューはいかがでしたか?

自分なりに終活をしていたつもりでしたが、改めて問われるといろいろと考えさせられました。また、自分が過去に大切にしていた思い出を振り返らせてもらうこともできて、とても満足しています。この歳過ぎても学んでいるんですが、こんなに世のなかに知らないことが多いんだと思わされることが多いです。私の学びはこれからもずっと続いていきそうですね(笑)

 

Illustration: banbino_e

インタビュアー

市川岳

市川岳

アンドフォーアス株式会社

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科哲学専攻卒業後、葬儀社(むすびす(株)旧:アーバンフューネスコーポレーション)へ入社。エンディングプランナーとして、年間約200家族との打合せ・葬儀を執り行うとともに、死生学カフェや死の体験旅行など様々なイベント企画を通じて「死へのタブー視」と向き合っている。 現在は上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻の博士課程前期1年目で、死とテクノロジーが合わさった「デステック」における倫理的問題のアセスメントを中心に研究を進めている。

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