- 死生観インタビュー
- 40代
「人の話を聴く」を突き詰めて緩和ケアの世界に。看取りの現場で学んだ死生観とは
終末期医療の現場を経験したkiyominさん(48才)に、お話を聞いてみました。
ーー亡くなった方の言葉で、印象に残っているものはありますか?
祖母が亡くなってから、祖父の世話をするような機会が増えてきました。
そのなかで祖父から言われた「人の話を聴いてあげなさい」という言葉が印象に残っています。
「人の心の深いところにある話を聴くことは、決して誰もができることではない。あなたは聞き上手だし、話を聴いてもらうことで良い影響を与えるから、これから関わる人にはそうしてあげなさい」と言われました
祖父からは戦争の話もよく聴いていたのですが、自分としては初めて聴く内容の話だったため興味深く、ただただ聴いているだけでした。一方で、祖父にとってはなかなかできない戦争の話をする時間が貴重だったらしく、ただ話を聴くことを感謝をされたことが印象に残っていて、そのときにかけてもらった言葉を今でも大切にしています。
その後、私は緩和ケア病棟やホスピス病棟で働くことになるのですが、そこでも「話を聴くこと」の重要性を感じました。
病棟やホスピスにはたくさんの終末期患者さんがいますが、彼らにとっては医療よりも、対話をすることも必要とされていることなんだと思い知らされました。
当時、患者さんがよく口にしていたのは「孤独だ」という言葉です。
死が訪れるとき最後に向き合うのは自分自身。それを救ったり、少しでも気持ちを和らげてくれるのが、自分の話を聴いてくれる人なのかもしれません。
ーー人生観や死生観に影響を与えた作品について教えてください。
アニメの『キャンディ・キャンディ』が好きでした。
孤児の主人公がさまざまな苦難を乗り越えて看護師になるという物語なのですが、大切な人との別れについても描かれています。
小さい頃にテレビアニメで観て、はじめて「看護師になろう」と興味を持った作品のひとつです。
『キャンディ・キャンディ』以外にも、自分が看護師になったきっかけがあります。それは祖母の看取りです。小さい頃は両親が忙しく、代わりに祖母が私の世話をしてくれたこともあって、自分にとって大切な人でした。
当時、海外留学の休暇中に日本に帰ってきた25歳の私は、空港で母から「祖母が体調を崩し入院した」と聞かされ、スーツケースを持ったまま病院へ向かいました。
病院では家族と代わる代わる看病をしていたのですが、私ひとりで看病をしていたときに突然、祖母に装着されていた持続吸引機の音が消え、祖母が苦しみ始めたのです。急いでナースコールを鳴らしたのですが、看護師さんにはすぐに来ていただくことができませんでした。苦しむ祖母が天井に手を伸ばすと祖母の口から白い煙のようなものが立ち上り、その直後に祖母は意識を失い、そのまま帰らぬ人となりました。
その時から魂の存在を感じるようになったのと同時に、看護師になることを決めました。
ーー死ぬまでにやりたいことについて教えてください。
海外で仕事をしたいです。例えば、ハワイで終末期医療に携わることができたら、なんて考えています。
ハワイにも終末期医療の施設があるので、そこで働けたらと考えていたり、日本の終末期医療の患者さんでも「最期にハワイに行きたい」と話す方が多くいるので、その方々のサポートを現地でするのもいいなと考えています。
もう一度英語を勉強し直して、自分の好きなように生きていきたいです。
ーー本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。インタビューはいかがでしたか?
心の整理になりました。
家族のなかだと、母とはこういう話を時々するのですが、普段はなかなかできない話でもありますよね。
Illustration: banbino_e